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サチヨ

Author:サチヨ
横浜出身のサチヨです。
理由なくフランスに惹かれて、ワーホリでの1年間の最後の一週間で、今のだんなさんである仏男と出会いました。

何事も超前向きな元パン職人の現コックさん、サチヨ。
それを超えて前向き、パワフル、日本食が大好きな彼とともに、アルザスで元気に暮らしております。
サチヨは1980年申年、だんなさんは1979年未年生まれ。

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2007年4月19日の日記。
記憶にも記録にも残したい日記ですので、
こちらに更新します。


タイトルの通り、2007年4月。

フランスワーキングホリデー時代のサチヨが書いた日記ですクリボー

お読みぐるしいところもあるかと思います><。






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フランスワーホリ | 00:55:50 | トラックバック(0) | コメント(7)
涙と根性の時代3

2006年、25歳のサチヨ。ホテル勤務。

ワーホリビザの申請にすっと合格し、4月。
親に伝えて、「行ってくるね」みたいなノリで、自分的にはイケイケドンドン状態。

怖いものなし、人生面白いほどうまく転ぶ、と信じて疑わない自分がいました。


「26歳の誕生日をフランスで、なおかつ、誰かと祝う」と心に決めて、

出発日を10月に設定。


”一か月で、誰かと仲良くなって、11月の26歳の誕生日はその子と!”と言う計算でした。


そして、2006年の11月7日。

誕生日に私は・・・。



またまた予告通り。


フランスで、誰かと!!誕生日を過ごし、
むしろ、

サプライズで祝ってもらっちゃいました!!



リモージュの農家でのWWOOFにより、

おいしいご飯、温かい寝袋、屋根と扉のある部屋、シャワー使い放題な生活中だったのです。
私のワーホリ生活で、一番のいい思い出の日々です。



自分の中で、
「社会人のワーホリだから遊びじゃ済まない。お金を使って、無駄に浪費して滞在することはしたくない。」
「働こう、お金を稼ごう、遊びじゃない。」

という思いがあって、フランスでただただ滞在してみることには価値がなく、

(忙しくて、何も見えなくなるとは気がつかず)フランスでいかに働く、稼ぐかが、課題になっていたのです。



これが、私のワーホリの最大のミスであり、最高の宝物です。



おかげで、

忙しく働きつづけ、体を壊してダウン。病院、救急車、寝たきりetc...

何かが欲しい、食べてみたい、面白そう、行ってみたい、
そういうすべての”欲望”、”願望”、”人として当たり前の望み”を満たす出費への嫌悪感からくる倹約、NO無駄遣いによる不満足感・・・


結果、2007年3月。ワーホリ半分経過の時点で、軽い鬱状態でした。


実際毎日メールを読んでは、泣いてました。

とにかく、ひとりぼっちで、さみしかったーーー。
そして自分がいかにだめな人間かと思い知るのです。
そう、日本では「井の中の蛙」だったのです。

お金を使いたくなくて、ワーホリ支援業者には一切加入しなかったので常に必死になって履歴書を自力で書いたし、自力で配りました。
いい勉強になったし、必要のないプライドを捨て去って、底力を出すことが出来たと思います。
必死さが伝わって、自力で2件ものパン屋での仕事を獲得しました。


日本食レストランの仕事、辛くて厳しいこともあったけれど、この店で出会った人間関係は本当にプライスレスです。尊敬できる日本人の方に出会うことができました。

仕事をするために、語学学校には行かなくて友達は一人もできなかったけれど、このおかげでフランス人しか話し相手がいなく、毎日が試練で、ド根性でフランス語を話すしか道がない状況に追いやられたので、
ハートが強くなりました。


もし行ったのがパリだったら・・

もし学校に行っていたら・・

もしお金を使って、好きなことして遊んでいたら・・


2007年の10月、出発から丸1年後のワーホリが終わる瞬間。
全く違うものになっていたことでしょう。



きっと、「楽しかった~ワーホリ!!」と笑顔で日本に帰っていたと思います。




実際の私は、3月の軽い鬱状態から奮起して見つけたアルザスでのパン屋での仕事を初めて、

縁もゆかりも知人も誰もいない、異国の地でひとり。

あまりの寂しさ、無意味さ、そして言葉が話せないといてもいなくても同じ扱いという虚しさ、
等に押しつぶされて


7月には「本格的な鬱」になりました。

鬱なのかは、誰にも診断はしてもらっていないけど。
ここで、自分がいかに世界では小さい存在なのかを思い知りました。
今までの悪事を反省して、周りのすべての人が尊敬できる、自分より素晴らしいと思えるようになりました。

こういう心の変化が、物理的にも変化を与えてくれて、


解雇になったので別のパン屋をに見つけて、8月から働き始めて、思いのほか順調に進み、


帰る頃の9月。「就労ビザ申請」までこぎつけたのです。

たった2か月の必死(他には行くとこもやることもないから、異常に良く働く)の働きがパトロンには響いたようです。





3月から7月の間の私は、ひどかったです。

一日15時間くらい寝て過ごしていました。あまりの寂しさに。


この時期に仏語が話せていたら、また話は変わっていたでしょう。
この時期に日本人の友達がいたら、健康面ではばっちりだったでしょう。
でも、日本人と一緒にいることで大切なことをきっと忘れたと思います。

それは「自分から動かないと何も始まらない、生きることは変わっていくこと」ということです。



なぜなら、

この軽い鬱から本格的な鬱の毎日の中で、

街へ出てフランス人とくっちゃべり、住んでいた寄宿舎の子とくっちゃべり、
(内容はまったくわからないけど、笑顔でうなづくのみ)

したので!!!!!

今の旦那さんにこの街で出会えたのですから!!



嫌嫌でも頑張ったし、自尊心も捨てたし、出来そうもないことにもアタックして
「だめでも、何も失うものはない」状態だったから、

必死だったから、

彼に出会えたのです。



自分の最悪の状態を見たから、上がるしかなかったから、

変われたのです。




私はこのどん底のワーホリ体験で、人間的に成長出来たと思っています。









フランスワーホリ | 22:15:46 | トラックバック(0) | コメント(6)
涙と根性の時代2

22歳の時。

8泊10日の初のフランス旅行から戻って、


なぜか(あ~思いだした。確かハローワークの斡旋だったから強制的に)、

あるホテルのベーカリー部門の求人の面接を受けに行きました。


1年フリーターになるつもりだったので、適当に相槌して、
「働く意志は?」と言われ、「条件次第で」と答えたら、

「君みたいな人材を探していた!!」とか唐突に言われて、

そのままベーカリーのトップや、ホテルの総料理長に紹介されて、


あっさりと採用が決定。


「先週、フランスに行って。来月は北海道に行こうと思っています。」
と言ったのに。採用してくれるな。



ハローワークの斡旋なので、無下にできず、「NO」が言えなかった私。

ホテルで、契約社員で、働くことにしたのです。
(お金が欲しい、いつでも辞めてもいい、拘束時間が短いのがGOODの誘惑に負けました)



そしてその時に、


遊びを控えて効率よく貯金をしよう。
実家に厄介になって、脛かじって、貯金をしよう。


そしてたまったお金で、フランスへ行こう。

と決めたのです。
漠然としたフランスへの憧れ3割、パン職人としての好奇心2割、5割を占めるのは
一回きりの人生だもの、珍しいことしてみたいな。
というお馬鹿な理由なのです。



22歳の6月。



我ながら、あっぱれです。だってこの時すでに、3年で辞める。と決めていました。
(父の教え、石の上にも3年は生涯のポリシーです。)


そして、見事。3年後、2006年9月。3年と3か月勤めたホテルをパシッと退社して、

2006年10月

フランスへワーキングホリデービザで旅立ちました。

前日まで終わらなかった荷造り。バックパック一つ、母手製の貴重品バッグ。



1年間の家族との別れ・・・・



成田で号泣して出国ゲートをくぐったのです。(お約束)




見送りにきた母も唖然。
















フランスワーホリ | 22:14:59 | トラックバック(0) | コメント(0)
涙と根性の時代

22歳の時、ひとつの恋が終わって。
心身ともにボロボロになりました。

そこで、19歳から3年働いていた貯金があったのでフリーターを1年やることに決めて、
各地へ旅行に行くことにしました。

それが3月。

4月に九州へ。父との2人旅で、後半は宮崎、鹿児島、屋久島・・ひとり旅でした。

屋久島の縄文杉登山。朝5時からのコースで、その日の一番乗りで縄文杉に着いた私。
ガイドを雇わないで一人で登山して、現地ガイドに本気で怒られた命知らずな私。

いい思い出です。

このときから兆候はあったのです。そう、別府の駅で父と別れてひとり旅が始まる瞬間に!

寂しくて号泣。

私って、そうです。泣きむし、弱虫、びびり、


しかし、それを上回る根性がある(図太い)のです。


なので、別府駅で泣いて、車内で一人でエンエン泣いて、高千穂列車(??)に乗り換えるころには
「泣いてられないわ」と涙をふいて、前に進む。

そして、ド根性が発揮されて、もうこの上ないくらいに満喫して、なんでもトライして、
大充実。


いつも本当に、この繰り返しです。


そして、まあ無事に帰還して、父に「おんなひとりで屋久島か~悔しいな~先越されたなあ。」
などと言わしめて、鼻高々で。

5月。今度は姉に、結婚式を翌月に控えた実の姉に懇願して、


念願のフランス旅行!!!!に行きました。


初のフランス、フランス語力ゼロ、英語力マイナス100(発音がひどすぎ)くらいで、フランスを横断する旅でした。


この旅は、おねえさまさまのおかげで、
本当に怖いくらいにスムーズに進みました。
(実はいろいろ、TGVのことが全くわかってなかったり、リヨンで優しい知らない日本人?が助けてくれたりはありますが・・)


姉は、映画大好きでフランス語は話せないけれど”発音のモノマネ”ができるよということで、
ガイドブックや会話集の文章をその得意のモノマネで読んでみると、

恐ろしいほど通じるという、神業があったのです。

4つ上のあねさまさま^o^

このときの私は弱虫でびびりでも、横暴でわがままでも
「さっちゃ~~ん^^」と横で天使のように見守って、支えてくれる姉がいたので、

フランス楽勝状態でした。


初フランスで、確か8泊10日、パリ→リヨン→アルル→ニース の移動。

レストランでの食事は・・1回?だけだったかなあ。

(語学力がないとレストランには入れないことにすら、このときは気がついていませんでした。)




















フランスワーホリ | 21:21:12 | トラックバック(0) | コメント(0)

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