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サチヨ

Author:サチヨ
横浜出身のサチヨです。
理由なくフランスに惹かれて、ワーホリでの1年間の最後の一週間で、今のだんなさんである仏男と出会いました。

何事も超前向きな元パン職人の現コックさん、サチヨ。
それを超えて前向き、パワフル、日本食が大好きな彼とともに、アルザスで元気に暮らしております。
サチヨは1980年申年、だんなさんは1979年未年生まれ。

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涙と根性の時代3

2006年、25歳のサチヨ。ホテル勤務。

ワーホリビザの申請にすっと合格し、4月。
親に伝えて、「行ってくるね」みたいなノリで、自分的にはイケイケドンドン状態。

怖いものなし、人生面白いほどうまく転ぶ、と信じて疑わない自分がいました。


「26歳の誕生日をフランスで、なおかつ、誰かと祝う」と心に決めて、

出発日を10月に設定。


”一か月で、誰かと仲良くなって、11月の26歳の誕生日はその子と!”と言う計算でした。


そして、2006年の11月7日。

誕生日に私は・・・。



またまた予告通り。


フランスで、誰かと!!誕生日を過ごし、
むしろ、

サプライズで祝ってもらっちゃいました!!



リモージュの農家でのWWOOFにより、

おいしいご飯、温かい寝袋、屋根と扉のある部屋、シャワー使い放題な生活中だったのです。
私のワーホリ生活で、一番のいい思い出の日々です。



自分の中で、
「社会人のワーホリだから遊びじゃ済まない。お金を使って、無駄に浪費して滞在することはしたくない。」
「働こう、お金を稼ごう、遊びじゃない。」

という思いがあって、フランスでただただ滞在してみることには価値がなく、

(忙しくて、何も見えなくなるとは気がつかず)フランスでいかに働く、稼ぐかが、課題になっていたのです。



これが、私のワーホリの最大のミスであり、最高の宝物です。



おかげで、

忙しく働きつづけ、体を壊してダウン。病院、救急車、寝たきりetc...

何かが欲しい、食べてみたい、面白そう、行ってみたい、
そういうすべての”欲望”、”願望”、”人として当たり前の望み”を満たす出費への嫌悪感からくる倹約、NO無駄遣いによる不満足感・・・


結果、2007年3月。ワーホリ半分経過の時点で、軽い鬱状態でした。


実際毎日メールを読んでは、泣いてました。

とにかく、ひとりぼっちで、さみしかったーーー。
そして自分がいかにだめな人間かと思い知るのです。
そう、日本では「井の中の蛙」だったのです。

お金を使いたくなくて、ワーホリ支援業者には一切加入しなかったので常に必死になって履歴書を自力で書いたし、自力で配りました。
いい勉強になったし、必要のないプライドを捨て去って、底力を出すことが出来たと思います。
必死さが伝わって、自力で2件ものパン屋での仕事を獲得しました。


日本食レストランの仕事、辛くて厳しいこともあったけれど、この店で出会った人間関係は本当にプライスレスです。尊敬できる日本人の方に出会うことができました。

仕事をするために、語学学校には行かなくて友達は一人もできなかったけれど、このおかげでフランス人しか話し相手がいなく、毎日が試練で、ド根性でフランス語を話すしか道がない状況に追いやられたので、
ハートが強くなりました。


もし行ったのがパリだったら・・

もし学校に行っていたら・・

もしお金を使って、好きなことして遊んでいたら・・


2007年の10月、出発から丸1年後のワーホリが終わる瞬間。
全く違うものになっていたことでしょう。



きっと、「楽しかった~ワーホリ!!」と笑顔で日本に帰っていたと思います。




実際の私は、3月の軽い鬱状態から奮起して見つけたアルザスでのパン屋での仕事を初めて、

縁もゆかりも知人も誰もいない、異国の地でひとり。

あまりの寂しさ、無意味さ、そして言葉が話せないといてもいなくても同じ扱いという虚しさ、
等に押しつぶされて


7月には「本格的な鬱」になりました。

鬱なのかは、誰にも診断はしてもらっていないけど。
ここで、自分がいかに世界では小さい存在なのかを思い知りました。
今までの悪事を反省して、周りのすべての人が尊敬できる、自分より素晴らしいと思えるようになりました。

こういう心の変化が、物理的にも変化を与えてくれて、


解雇になったので別のパン屋をに見つけて、8月から働き始めて、思いのほか順調に進み、


帰る頃の9月。「就労ビザ申請」までこぎつけたのです。

たった2か月の必死(他には行くとこもやることもないから、異常に良く働く)の働きがパトロンには響いたようです。





3月から7月の間の私は、ひどかったです。

一日15時間くらい寝て過ごしていました。あまりの寂しさに。


この時期に仏語が話せていたら、また話は変わっていたでしょう。
この時期に日本人の友達がいたら、健康面ではばっちりだったでしょう。
でも、日本人と一緒にいることで大切なことをきっと忘れたと思います。

それは「自分から動かないと何も始まらない、生きることは変わっていくこと」ということです。



なぜなら、

この軽い鬱から本格的な鬱の毎日の中で、

街へ出てフランス人とくっちゃべり、住んでいた寄宿舎の子とくっちゃべり、
(内容はまったくわからないけど、笑顔でうなづくのみ)

したので!!!!!

今の旦那さんにこの街で出会えたのですから!!



嫌嫌でも頑張ったし、自尊心も捨てたし、出来そうもないことにもアタックして
「だめでも、何も失うものはない」状態だったから、

必死だったから、

彼に出会えたのです。



自分の最悪の状態を見たから、上がるしかなかったから、

変われたのです。




私はこのどん底のワーホリ体験で、人間的に成長出来たと思っています。







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フランスワーホリ | 22:15:46 | トラックバック(0) | コメント(6)
コメント
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2009-08-17 月 03:29:07 | | [編集]
コメント、嬉しかったです。
宝物。

姉妹とはいえ、正反対な感性で協力したから相当の完成度の旅になったよね。
ちょっと前と言うけれど、もう6年だよ。2003の5月だったから。

たしかに、まだ誰のママでもないむすめっ子のおねえちゃんは、今じゃレアだね。すでに。

コルマールには、自慢のお子さんとぜひ。旦那さんを説得して、遊びに来てくださいな。
2009-08-18 火 23:16:07 | URL | サチヨ [編集]
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2009-08-20 木 11:32:09 | | [編集]
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2009-10-14 水 08:43:59 | | [編集]
みっこさん、コメント本当にありがとうございます。
顔が似ているとは^^面白いですね。
お姉さん素敵なかたのようなので、私もなんだか嬉しい気持ちです。

やはり海外での生活は、思うようにいかないし、落ち込んだ時にとことん下がってしまう傾向がありますので、
楽しいばかりではありません。

その分、得るもの、見つけるものは価値があるように思います。
これからも、応援してください。
2009-10-14 水 13:11:16 | URL | サチヨ [編集]
No title
私も コルマールには 度々行きますが、

働いてた 2件のパンやさんの名前は なんていうのですか?
2011-02-16 水 05:43:37 | URL | [編集]
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